ひきこもりの行動原理② 社会不安障害患者の叫び
あー手の震えが止まりません。
なかなか考えをまとめるのは難しいですね。
ひきこもりの行動原理というタイトルで一種の論文的なものをブログで書こうかと思ったのですが、はっきり言って一人では無理です。
基本的には前の記事の生活を永遠とループします。追加で言えばブログで論文を書こうとするぐらいでしょうか。
というかひきこもりや鬱の話題自体がネットという空間で重宝される時代は終わったんだなと思いました。
ネットですら『ゆとり』であることは許されません。今や他人を動員できるコンテンツやコンテンツに対する知識がないとどうしようもありません。
鬱や労働は流行りません。うつ病やひきこもりは自殺もしくはテロリズムぐらいしかないです。
「非リア中」や「メンヘラ」というものが健康的かつファショナブルな概念になってしまいました。鬱やひきこもりは「鬱やひきこもり」と仲良くできません。これだけは理解してほしいです。
「私」を閲覧してみてください
このブログをちゃんと読んでくれてる人が一人でもいて非常にうれしい。
私の文章を読むことで、その人の「私」が満たされたり、その人の「私」に対する気づきがあるならば、それはとても幸せなことだ。また、私が、たとえインターネット上であっても、他者に見られること、承認されることに喜びを感じるという事実を否定できない。それはもはや〈人間的〉次元ではなく、〈細胞的〉次元に属しているもののように感じる。
ひきこもりの行動原理
最初の更新日から、大分時間がたってしまった。約一か月ほどだろうか。
就活体験記という名目で始めたものの、このひと月全く就活をしなかった。なので自分には何も書くことがない、いや書く資格すらないという、謎の葛藤がありなかなか筆が進まなかったのだ。就活に関しても、ハローワークの雰囲気に耐えられず、精神病を言い訳にして、完全にフェードアウトしてしまった。(国に公認された「失業者」になったわけである)
しかし、「就活」というものを広い概念でとらえるならば、この無限に続く自意識のゲームも就活と言えるのではないか。
そういうわけでまたブログを書こうと思う。
ハロワをフェードアウトしてから、病気の治療を本格化させ、薬も強いものに変えた。パキシルという薬で副作用が強いのか、四六時中、震えやめまいが止まらない。冗談ではなく寝たきりにならざるを得ない。23歳だというのに。
体が思うように動かないので、大体一日中本を読んだり、動画を見たりしていた。ようはひきこもりかけのニートである。
今日はひきこもりの行動原理を自分の体験から、考察してみようと思う。
ひきこもりになると、最初は謎の解放感が生まれる。外出はできるので、友人と酒を飲んだり、満喫で一日中過ごしたりする。ようするに遊び始める。
しかし、それも長くは続かない。しばらくすると、とんでもない焦燥感がやってくる。こうなるともう何も手につかない。過去や未来に対する悲観的なイメージに襲われ、本を読む気力もなくなる。そうすると人間は「簡単に到達できる外部」を求めるようになる。
結果的に動画やネットの記事などの、いわゆる頭使わない系のものしか読まなくなる。特に自分と似たような境遇の人を求めて、「ひきこもり」「ニート」といったワードで検索を掛けるようになる。また昔の知り合いで特に見ても精神的ダメージの少なそうな人間のツイッターを見たりして、『俺だけじゃないんだな…』という仮初の安心感を得る。
そのまま安心感に浸ってしまえれば、ひきこもりとして、次のステップに踏み出せるだろうが、僕は正直その状態にすら耐えられなかった。具体的にいうと、ネットのネガティブな情報を真に受けたり、無駄に社会派なユーザー達が垂れ流す数々の言説を真に受け、自意識が分裂的になる。結果的に精神はさらに安定を欠くようになる。
そして、最終的は寝たきりになる。こうなるともう寝る以外のことができなくなる。朝起きたり、食事をすることも面倒になり、一日中天井を見て過ごす日々を迎える。
(収拾がつかないのでいったんここでやめます)
おれの11.30日とはなんだったのだろうか
「いや、おれの24年間とはなんだったんだろうか?」
はじめまして。
私は現在無職引きこもり中の24歳、neetlbumと申します。
今は、ハロワに行ったり、病院に行ったりと、なんとか社会復帰できるように頑張っているふりをしながら、このようにブログを書いています。ちなみに今日は家から一歩も出ていません。
おんなじような状況の人、またひきこもりの自分語りに付き合ってくれる方と出会えるのではないかと思い、開設してみました。
生活のこと、趣味のことなんかを書こうと思っています。
就活から逃げたいという気持ちをエネルギーにどんどん書いていきたいと思います。
とりあえず、よろしゅう。